『坊っちゃん』で語る学校のいま・むかし

夏目漱石の『坊っちゃん』は、明治時代の学校を正確に描写している。この姿と平成のいまを対比して、学校・教育を見つめ直していこうと思う。

1 夏目漱石『坊っちゃん』で教育談義

1、漱石ブーム

 『こころ』につづいて、『三四郎』『それから』が朝日新聞に再連載されている。

 「漱石山房」の再建計画も進められている。新宿区にあった、漱石が終焉を迎えた家だ。早稲田大学文学部の近くにある、「漱石公園」のところに再建するようだ。

 百年前に亡くなった漱石さん、このブームをどう見ているのだろう。皮肉屋さんだから、「また金儲けを企んでいる輩がいる」と見るか、「百年前に書いたことがまだ通用する世の中なのか」とおっしゃるか。

 ぜひぜひ、タイムスリップしてきていただき、インタビューしてみたい。

 

2、『坊っちゃん』がスゴイ

 こんなことは誰でも知っているが、漱石は長い間教師をやっていた。だから、多くの小説に「学校」と「先生」が登場する。『こころ』なんて、全部が「先生」の話だ。『三四郎』だって、舞台は大学で、主たる登場人物は先生と学生。もちろん、どれも深~い人間の心理を描いたわけで、単なる「学園ドラマ」でないことくらい、これまた誰でも知っている。

  ところが『坊っちゃん』。多くの人が、一度は読んだことがある小説だろう。そして多くの人が、正義感の強い、単純明快な坊っちゃん先生がくり広げる、痛快時代劇のような作品として読んでいる。そう、「学園ドラマ」のように。

 たしかに、そういった面はあるはずだ。でも、そんな単純な小説でないことは、再読すると分かってしまう。何と言っても、漱石先生自身が全作品を振り返って、弟子の一人にこう言っているんだ。

 

漱石ときどき、自分のふるいものを読みかえすと大変ためになるものだね。このあいだ、何の気なしに読みかえして見て、だい分、読んで見たが、いま読むと、自分のいいとこ、悪いとこがはっきりわかるね。」

江口「先生はどれが、一番いいとお思いになりました。」
漱石坊っちゃんなんか、一ばん気持ちよく読めたね。」

 

 この「気持ちよく読めた」は、「いいとこ」のある「いい」作品だという意味にとって「いい」のだろう。社会や文明や人の心の機微を描いて、名作とされる作品をあんなに書いてきた人が、「一番いい」としたのは『坊っちゃん』なのだ。

 

3、『坊っちゃん』で居酒屋的な教育談義を

 それなら、この「一番いい」とされた『坊っちゃん』を話のネタにしない手はない。何のネタにか。                                   

 『坊っちゃん』は、『二十四の瞳』のような「教育小説」ではないし、『金八先生』のような「学園ドラマ」でもない。「学校小説」だ。舞台は学校(旧制中学校)、登場人物はその学校の先生たち。しかも、その描写(事件も人物像も背景も)が面白い。そして、何よりも正確だ。もちろんその理由が、漱石自身が松山中学の先生だったからであることは、またまた誰でも知っている。

 そこで、この正確に描かれた「明治時代の学校のことや先生のことや出来事」を話のネタにしよう。それを「現代の学校や先生や出来事」と対比してみよう。今の教育を考える、いいネタになりそうだ。できれば、居酒屋に行って、この話題でワイワイと「教育談義」がしたいものだ。自由に、きままに。

 そんなところから、これからの学校とか、理想の先生像とか、教育の在り方とかが見えてくのかもしれない。さらに、当時の変わりゆく社会や、人々の心や、正義とは何かとか、漱石先生が「一番いい」とおっしゃった『坊っちゃん』の、その本質にも触れられるような気もしてきた。やはり、居酒屋には漱石先生も呼んで、教育談義に花を咲かせたいと思ってしまう。

 さて、それでは『坊っちゃん』を読みながら、居酒屋教育談義を始めましょう!

 みなさんも、文庫本『坊っちゃん』を片手に、この席に大いに参加してください。